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::: 久米島と琉球風水 :::

2006/01/31

桜
久米島のカンヒザクラ

沖縄の風水師を辿っていくと、久米村(クニンダムラ)に行き当たります。琉球王朝時代には、この地が風水師を輩出した場所でしたが、明治新政府によって1879年3月31日を限りに、琉球藩が廃止され沖縄県となった(琉球処分)ため、風水師(風水師は琉球藩お抱えでした)も仕事を失ってしまいました。それまで蓄積されていた風水の知識や技術もこの時、写本と共に散逸してしまいました。

さらに、沖縄本島は太平洋戦争によって焦土と化し、多くの文献が焼けてしまったため、風水の資料は戦禍を逃れた久米島や八重山などの離島に残ることとなりました。

久米村は琉球王朝時代には風水に基づいて作られていたのですが、昭和のはじめに久茂地川の支流が埋め立てられ、戦後の復興に際しても風水は考慮されなかったため龍脈が寸断され、今では風水的な力が衰えてしまったようです。

一方、久米島は琉球王国や明、清の時代の風水師が度々訪れており、上江州家のように風水の記録がはっきり残っている島でした。蔡温によって風水を見立ててもらったお墓もあります。琉球王朝時代には風水師を輩出しませんでしたが、集落や墓、家の設計に久米村の風水師が関わりました。

そういう伝統の中から、吉濱智改(明治18-昭和31)という方が誕生しました。吉濱氏は久米島の具志川村長や織物同業組合長も勤められた名士ですが、「黒龍」という名で風水師もされていました。沖縄の風水だけでなく朝鮮の風水も学んで判断されていたようです。このように久米島は風水と深い関わりがあり、琉球風水を研究し、語り継いでいくのには久米島が一番良い環境だと思われます。

そこで、久米島を拠点にしようと思っていた矢先に、昨年対談したウエス・ジャンマーク氏が久米島に古民家を借りて住んでおられるということがわかりました。彼に連絡を取ると、「とても良い島。こちらに拠点を設けるのは歓迎されますよ」と励ましてくれました。

さて、1月19日から1月21まで久米島に行ってきました。
今回の久米島入りは、久米島自然文化センターにある風水資料を閲覧するのが一番の目的です。また、昨年6月に実施した久米島ツアーの懇親会で、久米島観光協会の吉井さんから「伝統芸能を通じて出雲と久米島の子供達との交流が出来ないか」という提案があったので、出雲の子供達の現状を伝えるためでもありました。

19日はチェックイン後、バーデハウスで身体を休めました。海洋深層水を使ったタラソテラピーの施設です。とても心地良く過ごせました。ここに来たら、海草パックや温石を用いたトリートメントを受けるのがお薦めです。すぐ近くにはパワーのある畳石があり、バーデハウスはこの島のエネルギースポット上にあります。ここのメインルームは風水を考慮して設計されたそうで、八角形の建物になっていました。
畳石
畳石

20日は久米島観光協会を番内さんの衣装を着けて訪問しました。その姿に、吉井さんはじめ、スタッフの女の子もびっくりしていました。出雲と久米島の子供達の交流について話し合いました。

番内さん姿のまま、久米島自然文化センターを訪問し、出雲と久米島で古代に交流があったかどうかをいろいろ話し合いました。はっきりした証拠はありませんでしたが、立地から考えると風や潮の流れを利用して、海を通じて行き来があったとしても不思議でないように感じました。展示されていた勾玉に出雲型に近いものがあり、詳しく調べる必用がありそうです。また、風水資料も見せてもらいました。

自然文化センター
久米島自然文化センターにて(保久村氏と番内さん)

久米島の聖地・君南風神社にお参りしました。晴天に恵まれポカポカ陽気で、桜の花がきれいでした。花の色が本島のものよりうすく、本土の桜に近い感じがしました。

午後からはウエス・ジャンマーク氏の古民家を訪問し、情報交換をしました。沖縄の古民家に住むには赤瓦の修理が大変だという話を聞きました。話をしながら付近を歩いていると、「一ヶ月一万円生活」の撮影がすぐ近くで行われていて、元プロボクサーの薬師寺さんを見かけました。夜には婦人会が彼の歓迎会をしていました。

夜は昨年2月に日本テレビの「家という物語」で一緒に取材を受けた保久村さんの家を訪ねました。奥様の美味しい手料理を戴きました。泡盛を飲みながら風水の拠点作りの相談に乗っていただきました。島の人たちの協力が得られそうですので、琉球風水は、やがて久米島から情報を発信していくことになりそうです。

ところで、下記のように、たじま屋本店で「琉球風水勉強会」の説明会と第一回講義をスタートします。風水の知識や技能を修得して将来琉球風水師として開業することも可能ですが、琉球歴史と風水思想を学ぶことによって天運のある生き方を実践し、己の心を磨き、家庭での子供の教育や職場での人間関係や新人教育に役立ててもらおうというものです。

日時:2006年2月7日(火)18:30〜20:00
場所:たじま屋本店(沖縄市一番街)
対象:一般
参加費:5,000円(資料代:3,000円含む)
問合せ先:たじま屋098(937)8118

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::: 沖縄の風水エネルギー :::

2006/01/30

沖縄の皆様、あけましておめでとうございます。
昨日は旧暦の元旦でしたよね。沖縄では新年を迎え、いろいろ行事が行われたでしょう。台湾や中国でも春慶節と言って旧暦で新年をお祝いします。

 ここ、出雲では出雲大社で「福神祭」がありました。旧暦の正月をお祝いすると共に、出雲大社教管長の講話や福引がありました。福神祭には今年初めて参加したのですが、なんと福引で「福俵」が当選しました。当選者は神殿の前で神職の方から祈願していただきました。それだけでもありがたいことですが、帰り際にどっさり副賞を持たされて本当にびっくりでした。今年はとても縁起が良いスタートとなりました。福神祭については、後日書きましょう。

ところで、1月17日〜23日まで沖縄に行ってきました。
沖縄滞在中に日記を更新するつもりでしたが、いろいろな方々から歓待され、連日夜遅くまで一緒に楽しいひと時を過ごし、日記を更新する時間がありませんでした。

沖縄滞在中は1月21日頃までとても温かくて、というよりも暑くて半袖のTシャツ一枚で過ごしましたよ。ホテルや車では冷房をかけていました。風習だけでなく、気候からも沖縄は外国といった感じがしますね。

1月17日は「かねひで都パレス」での風水講演会でした。100名を越えるお客様が来場されました。パレスクラブ会員向けの講演会だったのですが、会場に入りきれないため、予約が取れなかった方も多かったそうです。ところが、飛行機のフライトスケジュールが変更になっていて、ぎりぎりで間に合う予定でしたが、交通混雑もあって会場入りが遅れてしまいました。お客様やかねひで都パレスのスタッフの皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

お正月の縁起の良い話ですし、はるばる出雲から駆けつけるので、出雲観光協会から貸していただいた「番内さん」の面と衣装を着けて登場しました。各テーブルを回って「あくまんばらーい」と言いながら、厄払いをさせていただきました。番内さんを初めて見る方も多く、その姿に会場の皆さんはびっくり。出雲大社のお正月の気分を味わってもらえたようです。会場では島根県と出雲市の観光パンフレットも配布して沖縄の皆様に出雲の観光宣伝もさせていただきました。

担当者の政倉さんは「2ヶ月に一回パレスクラブ会員向けの講演会を企画していますが、和来先生の新春風水講演は毎年一番人気で満席になります。今年はこの衣装で講演して下さり、お客様の反応もとても良かったです。来年も是非講演をお願いします」とおっしゃって下さいました。出雲に引越しても沖縄にはたくさんのファンの方がいて下さり、とてもありがたいことです。

17日の夜は那覇市泊港の「とまりん」にある「かりゆしアーバンホテル那覇」に宿泊しました。今回は、なぜか無性に那覇の港が見たくなったのです(後で理由がわかりました)。また、とまりんには琉球ガラス村のショップがあり、そこで和来龍の風水グッズも販売していますので、お店を見ながら店員の方に挨拶もしたいと思っていたのです。

風水コーナー
琉球ガラス村とまりん店風水コーナー

ホテルについたのが夜遅かったため、軽く食事をしに近所に出かけました。前島あたりをぶらぶら歩いていると「ゆいまーる」というお店がありました。近海魚の刺身などを出す、ちょっとした料理屋です。目立ちはしませんが、沖縄の家庭料理が食べれる家族的で温かいお店でした。泡盛を飲みながらお店の人といろいろ話をしました。とても素朴で正直そうな感じがするので出身地を尋ねたら、大将は粟國島の人で、女将さんは久米島の人でした。

いつしか話題は琉球王朝時代の話になり、ウチナンチュ(沖縄人)は海を利用して諸国と交易していたことなどを語り合いました。面白かったのは、先日テレビで南薩摩地方の文化を紹介していたのですが、その多くが沖縄にルーツがあるものだったという話でした。例えば、現在サツマイモと呼ばれているイモは約400年前の1605年に野國総管が中国から持ち帰ったものです。それを知ってか私の子供の頃出雲ではリュキュウイモと呼んでいました。さつま揚げは、琉球料理のチキアギーから来たとか、焼酎は琉球王朝時代にタイから伝わった泡盛製造技術が伝わったとも言われているとか・・・。
「とまりん」に宿泊したのは、この人たちと出会うためだったように感じました。

沖縄は琉球王朝時代に海洋交易により中国や東南アジアとの太いパイプがあったということが知られています。こうして沖縄に伝わった諸外国の文化や技術は1609年の「島津の琉球侵攻」とその後の間接支配によって薩摩に伝わり、薩摩の物として日本全国に知られるようになったのです。

島津藩の明治維新の功績も実は沖縄が踏み台になっていたから出来たことであり、太平洋戦争の時も沖縄が地上戦で捨石となり、現在でも米軍基地が置かれるなど日本の繁栄の陰には琉球の犠牲があるということを知るべきでしょう。

1月18日は午前中ラジオ沖縄の生番組「まことにいい朝」に出演させていただきました。番内さんの面と衣装を着けてラジオ沖縄に乗り込みました。小磯まことアナウンサーもびっくり。2006年の風水開運法をお話してリスナープレゼントを差し上げてきました。帰りにスタッフルームにも挨拶に行くと、皆さん突然の番内さんの登場にびっくり。「厄払いをしてくれー!」という方もありましたよ。

18日夜は琉球ガラス村で風水講演をしました。大社神謡のおめでたいテープを流しながら、またしても番内さんの登場です。皆さん恐る恐る番内さんに近づいて厄払いしてもらっていました。鏡を見るとそこに写っているのは、自分ではなく番内さんです。自分で見ても恐いと感じます。仮面とはとても不思議なものです。仮面を被ると何だか別人になったような気がします。神楽や能で面を被るのは、見る人たちのためだけではなく、演者がその役に没頭できるからなのだと改めて感じました。琉球ガラス村では抽選会やオフ会も行われました。琉球ガラス村からたくさんの景品が提供され、皆さん大喜びでした。

風水講演会
琉球ガラス村での講演

短い時間でしたがオフ会もしました。ライターの和家若造氏も参加され、和気あいあいで楽しく過ごしました。今年から琉球風水の勉強会を始めることを皆さんにお伝えしました。琉球風水の勉強会の目的は、正しい見識を持った琉球風水師を育成することです。そのためには、琉球民族の歴史や文化を学び、琉球民族の誇りを持って社会に貢献することを学びます。

琉球民族は、かつて礼儀正しい民としてアジアで知られ、琉球王国は「守礼の邦」という扁額を掲げました。ところが、ここ数年、沖縄の成人式での若者の無礼な振る舞いが全国放送されるのが恒例になっています。これは一体どうしたことでしょう。もっと、自分達の民族や先祖のことを知って、礼節を知り、誇りある大人になって欲しいと思います。そういう願いもあって、今年から琉球風水の勉強会を始めることにしました。

オフ会の後、琉球ガラス村の川上さんに馴染みの料理屋さんに連れて行ってもらいました。そこは那覇市久米にある「福州園」隣の「てぃーあんだ」というお店です。お店の雰囲気は居酒屋よりも高級で静か、料亭ほど大層ではなく庶民的。琉球風と中国風が合わさったような感じの店です。ここのママさんは凡そ600年前に中国から沖縄に帰化した久米36姓の子孫ということで(24代目だったかな?)、この久米で働くことが誇りのようでした。

久米は琉球王朝時代、唐栄とかクニンダムラと呼ばれて中国帰化人の居住区でした。久米大通りは龍の身体を模して作られ、居住区全体が風水によって整備されていました。あの有名な風水師であり、三司官であった蔡温も久米出身です。ですから、久米36姓の子孫にとっては先祖の住んでいたところとして感慨深いものがあるに違いありません。

閉店時間を過ぎても話が弾んで、ママさんが奥から系図を出してきました。その系図を見て身震いするような出会いがありました。17代目に、現在私が琉球占術で用いている漢語テキストに琉球和語で注釈を書いていた『鄭元偉』先生の名が載っていたからです。その瞬間、感激で全身にビビッと電気が走るようでした。

この先生の書いた注釈を琉球古語大辞典を横に置きながら苦労して解読したこれまでのことが思い出されただけでなく、解読を進めるうちにその考え方や思想に共感したり、教えられたことが多かったのです。少し大げさに言えば、「師にお会いした」という感覚です。

名前の横には紫金大夫と書かれていました。紫金大夫は、村長や三役に当たる久米村で最も重要な役職ですから、才能だけでなく人格的にも優れ、多くの方から支持されていたことでしょう。今日ちょうど、琉球風水の勉強会を始める話をしたばかりだったので、この勉強会を鄭先生も賛同し、応援して下さっているように感じました。

ママさんに、現在久米に伝統的な風水師がいるかと訪ねたところ、今はいないということでした。私もこれまで自分で探し回って風水師はいないということがわかっていました。もしかして、と思って尋ねてみましたが、やはりいませんでした。私が久米を拠点にして風水の勉強会をすることも考えてみました。しかし、現在の久米は太平洋戦争で焼け野原になった後、再建されたもので、風水環境が悪くなっているだけでなく、余所者が受け入れられにくい地域だということがわかりやめました。

久米村の代わりを捜してみると、琉球王朝時代に風水によって作られた集落や建造物が今も残っていて、かつて村長が風水師、現在でも住民に風水思想が受け継がれている地域がありました。

それはズバリ!久米島です。「エーなんだって? それって、駄洒落じゃないの」と言われそうですが、琉球風水を勉強し、語り継いでいくのなら本当に久米島が一番良い環境なんです。久米島には上江州家をはじめとして、琉球風水にしたがって建てられた物件や資料が比較的たくさん残っています。海はきれい、水は豊富で断水することはなく、人々もおおらかで優しく住み心地の良い島です。そこで、久米島に拠点を置いて琉球風水の研究、普及をしようという気になりました。

ちょうど翌日の1月19日から出雲と久米島の子供達の交流プログラムの相談や風水の資料調査で久米島に行く予定が入っていましたので、このアイデアはきっとうまく行くと思いました。久米島での話は、明日の日記に書きましょう。

ところで、琉球風水勉強会について少し解説します。この勉強会で風水の知識や技能を修得して将来琉球風水師として開業することも可能ですが、それだけでなく、琉球歴史と風水思想を学ぶことによって天運のある生き方を実践し、己の心を磨き、家庭での子供の教育や職場での人間関係や新人教育に役立つものです。まずは沖縄市一番街にあるたじま屋本店で説明会と第一回勉強会を行います。
日時と参加費は下記の通りです。

日時:2006年2月7日(火)18:30〜20:00
場所:たじま屋本店(沖縄市一番街)
対象:一般
参加費:5,000円(資料代:3,000円含む)
問合せ先:たじま屋098(937)8118

縁とは実に不思議なものです。たじま屋の古謝社長は久米36姓の子孫で、先祖は中国から暦などを沖縄にもたらしたそうです。それって、風水師じゃないですか?
この流れで行くと、風水勉強会でどんな人たちが集まるのか、とても楽しみです。

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::: 沖縄入り :::

2006/01/17

関空
関西国際空港

今日から沖縄に入ります!!

この冬の出雲は寒かったですから、暖かい沖縄に行くのはとても楽しみです。

今回は沖縄での新年風水開運講演や久米島での古文献や風水資料の調査を行います。一週間沖縄に滞在しますが、講演会のほかに個人相談や風水調査の依頼も受けていますので、あまりのんびりはできません。でもやはり暖かい沖縄に行けると思うとウキウキします。

やはり、和来龍は沖縄が一番力が出ますね。
今日の予定は夕方かねひで都パレスで講演会です。
出雲の話題もたくさんあります。お楽しみに。

明日は19:00から琉球ガラス村で講演会とこのホームページの読者のオフ会を行います。

関西国際空港で日記を書きました。
この空港ができる前、私は大阪の設計コンサルタント会社にいました。この空港のために大阪湾を埋め立てるので、その際の環境アセスメント調査に携わりました。今は立派な空港になっています。懐かしい気がします。
関空ロビー
関西国際空港出発ロビー

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::: 吉兆さんと番内さん :::

2006/01/16

吉兆さん
吉兆神事(島根県指定無形民俗文化財)大社町史より

 新暦では2006年を迎え、皆様、新たな気持ちで新年を出発されていることと思います。沖縄は旧暦ですから今年は1月29日がお正月ですね。
 私は今年、出雲で新年を迎えました。出雲は神話の国ですからお正月はどこの神社も初詣で賑わいます。私が住んでいる地域では初詣は氏神様にお参りに行くだけでなく、出雲大社や日御碕神社、長浜神社にも参拝します。これらの神社はどこも由緒ある神社です。今年は長浜神社と日御碕神社にも参拝しました。
出雲大社 (ref.

 長浜神社は出雲風土記の神様をお祭りしていることで有名です。御祭神は国引きの神様である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)とその妻・布帝耳命(ふてみみのみこと)、その子・淤美豆奴命(おみずぬのみこと)です。八束水臣津野命は古事記や日本書紀では登場されませんが、出雲の国土形成をなさった最も重要な神様ですので、出雲大社だけでなく長浜神社もぜひ参拝されて下さい。
長浜神社 (ref.

 日御碕神社の御祭神は日沈宮(ひしずみのみや)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)、神の宮(かみのみや)が素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。現在日御碕神社は社殿を修復中ですが、鮮やかな朱色が目を引きます。日御碕神社の先にはウミネコで有名な経島があります。現社地の前は経島に神社がありました。経島に建てられた鳥居を眺めていると大いなる自然の中で、意識が古代にタイムトリップするような感覚がします。
日御碕神社 (ref.

経島
経島

 ところで、タイトルに掲げた「吉兆さん」というのは出雲以外の人には聴き慣れない言葉かもしれませんね。吉兆さんとは出雲大社周辺の町内でお正月に行われる神事のことです。吉兆は高さ10m余り、幅1m程の錦の幡(ばん)に「歳徳神(としとくじん)」と各町名を縫い取りにした山車(だし)のことです。

 歳徳神と聞けば陰陽道や気学を勉強されている方はすぐにわかりますよね。そうです。その年の福徳を司る吉神のことですね。この歳徳神がお正月に天より降臨なさるわけですが、いらっしゃる方位がその年の恵方(万事に良いとされる大吉方)となります。ちなみに今年丙戌年の恵方は南南東になります。昔はお正月に歳徳神を家内に招き入れるために、それぞれの家で歳徳棚をしつらえて、御供え物をする習慣がありました。風水では住宅や部屋のその年の吉方位を清浄にして縁起物を飾り、吉運を呼び込みますが、歳徳の神様を住宅に招き入れるということと同様ですね。

 吉兆さんは出雲大社の神域にある町内で数百年にわたって続いている神事で、歳徳の神様の依代となっている「吉兆幡(きっちょうばん)」は、出雲でも大社町だけに見られるものです。毎年お正月の3日は、「吉兆さん」で大社の町は賑わいます。各町内会の若者達が、悪魔払いの番内を先頭に、「歳徳神」と縫い取られた高さ約十メートルの錦の大のぼり「吉兆幡」を当番の家から笛やはやしとともに厳かな神謡に乗って担ぎ出し、氏神や千家、北島両国造家などを回り、出雲大社で新年の祈りを捧げ、各町内を練り歩くお祭りです。

 今年も出雲大社本殿前には、各町内会の「吉兆さん」が、にぎやかな笛と太鼓の音を奏でながら、きらびやかな幡を立て、厳かに祝い歌を奉納して、今年一年の無病息災や商売繁盛などを祈願しました。

 この神事で面白いのは、先祓いとして猿田彦(さるたひこ)や番内(ばんない)が先導し、祓清めた後を歳徳神と書かれた「吉兆幡」が練り歩く様子です。番内には厄年の男性がなり、金欄の神楽衣装を着て、鬼の面をつけて、青い孟宗竹の先を裂いたササラ竹をひきづりながら歩きます。出雲大社にお参りしてから、親戚や知人の家を回り、玄関でササラ竹を打ち下ろしながら、「あくまんばらーい(悪魔祓い)」と大声で叫んで、厄を祓います。厄男達は、こうして各家の厄を祓うことで、自分の厄も祓われるとされています。
 歳徳の神様を招くためにはその前に悪魔祓いをしておかなくてはならないようですね。風水での開運も、まず家屋敷を清めて、厄を祓ってから吉運を招き入れることが大切です。

 あくまんばらーい!
番内さん
番内さん

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::: 謹賀新年 :::

2006/01/01

幸運の勾玉

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

今年も皆様にご多幸がありますように!

              和来龍
平成18年丙戌年元旦

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